ADHDかもしれないと思ったけど、、、

自分のこと

※アフェリエイト広告を使用しています。

こんにちは、みょうびです。

最近よくADHDについての話を耳にするようになったので、私のお話をしてみる。

保育園から小学生の頃

今はどうか分からないが、私が子供の頃はADHDなんていうカテゴリーは無かった。

小学2年の時に授業中突然走り出す男の子が東京から転校してきたが、クラスメイトは「そういう子」として見ていて友達として何ら変わりなく接していた。

が、先生方や親達は違っていた。

転校するというので、本人に話を聞いてみた。

発達障害があり、ここでは対応できないので特別な学校に転校することを勧められて母親が怒ってしまったのだそう。

当時は単純に母親が怒ったからここには居られないのかなと思っていた。

大人になってから考えてみると、普通の子供として育って欲しかったんだなと、、、。

中学生の頃

中学校に入学すると、特別学級というクラスがあって5人くらいがそこで授業を受けていた。

発達障害というものは知らず、単純に苦手な授業がある子どもが入るクラスだと思っていた。

幼馴染が特別学級にいたが、得意な科目の時は私達と一緒に授業を受けていたし「そういう子」って思っていた。

家が近くなのでよく遊んでいたし、何が障害なのかさっぱり分からなかった。

だって、色んな機械を発明して作っちゃうし特殊な免許を取ったりしてて凄いなって感心するばかりだったから。

私はというと出来ない事もあるにはあった、人間だもの。

出来ない事は出来るひとが手伝ってくれた。

高校生の頃

進学校に入学した。

授業中に先生の話の途中で意見をしたり、答えが分かると挙手をせずに答えた事にクラスメイトから反感を買った。

どうしていけない事なのか分からなかった。

保育園から中学生までずっとそうしてきたし、誰も文句を言わなかったし、褒められてきたから反感を買ったのはショックだった。

入学した高校に中学の同級生は一人も居なかったので、話を合わせる事も出来なかった。

それでも、「私の中学、そういう子がクラスにいたから気にしないから大丈夫だよ」と話しかけてくれるひともいたし、変わってて面白いねと言われるようになった。

私は変わってるんだ、、、。

高校卒業後

親に無理矢理、短大に入れられた。

保育士になれというのだ。

私は美術の先生か一生風景画を描いていたかった。

親に言われて入学して、保育士になった同級生もいたが私には無理だった。

興味がない事を仕事にできる人って凄いと思った。

私は美術の先生に推薦状を書くから美大に編入しなさいと勧められたが、保育士にならないだけじゃなく美大に編入するなんて無理だと思った。

自分でローンを組んで専門学校に入学した。

そのローン、2年間分の学費ではない上に1年後返済開始だったのだ。

私は実家に帰る事になった。

色々中途半端

現在。

やりたい事をやらせて貰えないから中途半端なのか、飽きっぽいから中途半端なのか最早分からない。

仕事に関しては非常に飽きっぽいので、1年~2年で辞めたくなる。

本当にやりたい事を仕事にできていたら、と考える事もある。

絵を描くのが好きだから極めようとすると、必ずけなされる。

けなされ続けた人生なので、けなされるとどうでも良くなってしまう。

エンジンがかかるまで時間がかかる

やる気が出るまで時間がかかるし、やらなきゃいけない事だからといって最優先でもない。

楽しくやれてた仕事は、ほぼほぼおばちゃん達に背中を押されながら褒められながらだった。

だからこそ一人フリーランスになって思う。

生きずらいとは思っていたけど、私ってなんか違うよね、変だよね。

ADHDというカテゴライズ

人々が決めた普通と普通じゃないの違い。

ちゃんと言う事聞いて、指示に従い、言うなりに仕事をして、突然休んでショッピングに行かない人が世の中にとって都合のいい人間なのだろう。

診断を受けたわけではないが、ADHDかもと思っているし、環境のせいかもしれないとも思っている。

中にはADHDかもと思って精神科で検査をしたら、ただの無能だったと言ってるひともいた。

ひとつ言える事は、ADHDだとしてもいいように扱って貰えるわけはないという事だ。

ADHD、じゃあどうやって生きていく?と考えるきっかけに過ぎない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました