猫50匹多頭飼いした社会不適合者の事後紹介

こんにちは、みょうびです。

自分が社会不適合者だということに気が付いて数年が経ちました。

何をやってもそこそこ出来るのに極めないタイプの人間です。

めんどくさがりで飽きっぽく、人の名前と顔を全く覚えないくらい他人に興味がない私の半生を語りましょう。

だいたい毒親のせい

福島県の土居中、3月14日生まれ、O型。

三姉妹の長女。

末の妹は東京に行ったきり10年以上実家に帰省していない。

化粧が濃いだの洋服が派手だのと散々言われたら、誰だって面白くないと思う。

真ん中の妹は幼少の頃から噓をつく癖があり、成人してからは毒妹として拍が付いた。

母親のお気に入りマリオネットで、付き合っていた男性からプロポーズされたが母親が手放さなかった。

父親はアルコール依存症で殴る蹴るの暴力と言葉の暴力を私と妹に浴びせてきたが、血管がブチ切れて生死の間を彷徨った。

リハビリを真面目にせず半身麻痺のまま10年がたとうとしている。

ひとを傷つけた代償は大きく、因果応報を体感している人間の一人だと思う。

母親は機嫌が悪くなると怒鳴り散らし、皿を割りまくり、言うことを聞かないと無視という態度で気持ちを表現する為、私は機嫌を取る為に小学生の頃から家事炊事をやってきた。

学生時代は母親が父親と喧嘩して家出を繰り返していた。

あの頃は親が離婚すると世間的に、は?という空気だったので両親がいて良かったと思ったりもしたが、離婚してくれていた方がもしかしたら良かったんじゃないかと考えたりもする。

母親は責任を任されるのが異常な程苦手な人で、どんな些細なことでも父親の責任になっていたので、父親がアルコール依存症になったのは母親のせいでもあると思う。

私は、体型容姿、性格、やりたい事ややっていること、全て親に否定されながら生きてきた。

私でいいのか、私はこれで合っているのか、私はここに居てもいいのか。

他人の顔色ばかりを気にしていた。

私の心は何処に居たのか

小学2,3,4年の担任の先生は依怙贔屓する先生だった、言うことを聞かないとクラスメイトの前で処刑する先生だった。

ある日、先生の言うことを聞かずに描いたヘチマの絵が絵画コンクールで金賞を受賞した。

小学5年の担任はロリコンだったが、私の作文を作文コンクールに出してくれた。

入選だったが、自分の気持ちを嫌味たっぷり文章に込めたのが認められた。

中学高校と先生に恵まれ、絵画コンクールでは受賞の常連になり全校生徒の前で賞状を授与された。

俳句コンクールでも受賞され、文集に掲載された。

親の命令で保育士になる為に東京の短期大学に入学したが、命令でなれる程保育士という仕事は甘くない。

先生には美大への編入を勧められたが、金銭的問題で専門学校に入学した。

最初に描いた読み切りの漫画が雑誌の後ろの方にコマ付きで掲載された。

私は上に行ける。

しかし、専門学校入学と授業料一括のローンだったが、2年分ではなく1年分だった為に専門学校を辞めざるを得なくなった。

アパートの家賃は父親が払っていたのだが、滞納10ヶ月でどの道だった。

実家に連れ戻され、漫画を描いていたがコンビニで強制労働させられることになった。

連れ戻しておきながら、出て行ってくれと大声で剝げ散らかす両親に何度も絶望した。

毒親は殺すな。利用して捨てろ。

専門学校の体験入学の時の講師の言葉だ。

殺せば刑務所行きで将来が断たれる。

だったら、上手く利用しろ、散々利用してボロボロになったところで捨てろ。

どんなに助けを求めてきても助ける必要はない。

親にムカつく事を言われてもスルー出来るだけの知識を身に付けろ。

本を沢山読め、色んな人と関わって視野を広げろ。

この言葉が無かったら、私は家に火を放っていたと思う。

家に火を付けてやるって強く強く強く心に念じていたから、本当に実行していたと思う。

今はまだ実家で暮らしている。

父親が死んだ時には相続権で争うつもりだ。

母親は全財産を妹が相続するつもりでいるのかもしれないが、残念ながらそうではない事実に妹ともども仰天するだろう。

毒母親と毒妹に心擦り切れながらも、いつか来るであろうザマーなその日の為に邁進していこう。

ファイナルファンタジー11

東京から連れ戻されてから、東京の友人が贈ってくれたMMORPGだ。

私を必要としてくれる仲間達の活躍によって、私は自分の価値を高める事ができた。

同時期に猫が増え始め、私がいないとこの子達は死んでしまうという謎の責任感も相まって私のなりたかったものは昇華された。

漫画を描いて、人気作家になって、国民から求められる存在を目指していたがいつの間にかどうでも良くなっていた。

20代最後に読み切りの漫画を仕上げて持ち込みに行った。

アシスタントから始めてみないかとお声がけされた。

嬉しかったが満足したからお断りした。

深夜のバイトを辞めて、昼間の生活の戻るための体力を付けたり、ネットゲーやりすぎで睡眠時間1~3時間だったのもあり精神的にも病んでいたので、少しずつ将来に目を向ける計画をたてた。

猫が好きすぎて猫50匹多頭飼いした私と猫の生活

会社の人間関係に悩みながら不平等を味合わせられる日々の中で死んで行くような人生は考えられなかった。

本当はあと一年会社で実績を積みたかったが、何の因果なのか上司から仕事が貰えない状態となり、それを見て見ぬふりをする人もいたし、一ミリも知らない人もいた。

退職を引き止められた時に、自分が置かれてる状況を説明した。

自分がやるべき事をやって会社とはさよならした。

来年、将来に向けた10年計画の10年目になる。

多頭飼育崩壊が明るみに出始めた今、私は自分の経験を書き記すことにした。

俺たちの旅は始まったばかりだ

にっちもさっちもいかない人生だけど、もう少しだけ踏ん張ってみようと思う。

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